3歳児神話の真偽
3歳児神話に根拠はない!子育てにとって本当に大切なもの
3歳児神話とはどのような根拠による理論なのか、3歳児神話が誕生したきっかけと、3歳児神話を否定している厚生労働省の厚生白書の内容を解説。3歳児神話の海外での捉えられ方も説明します。保育園に預ける母親を悩ます3歳児神話ですが、正しく理解すれば、気に病む必要はなくなります。
3歳児神話とは?どのような根拠で成り立つ理論なのか
「3歳児神話」という言葉を聞いたことがありますか?
文献によって表現に多少違いはありますが、一般的に3歳児神話というとき、「3歳までの子供は、常に家庭で母親によって育てられないと、その後の成長に悪影響を及ぼす」ことを指しています。
恵泉女学園大学教授の大日向雅美氏は、この言葉に次の3つの要素があることを指摘しています(注1)。
3歳児神話に含まれる要素
- 子供の成長にとっては、3歳までの時期が重要な意味を持つこと。
- 3歳までは、生来育児に向いている母親が子育てに専念しなくてはならないこと。
- 母親が3歳まで子育てに専念しないと、子供は寂しい思いをし、将来的に性格が歪む恐れがあること。
3歳児神話の根拠とされている事柄1:ボウルビーの報告書
3歳児神話が定義されるきっかけとなったのは、イギリスの医学者ボウルビー(John Bowlby)が世界保健機構に提出した第二次世界大戦の戦争孤児に対する報告書と言われています。この報告書の中でボウルビーは、家族から引き離された子供や孤児は精神的な発達に遅れが見られたという調査結果を示しました。
そして、その理由として、第一養育者(初めて世話をする人)に向けた乳児の笑いかけや後追いなどの行動が、第一養育者と乳児の距離を縮める普遍の愛着行動であるにも関わらず、家族から引き離された子供や孤児はこの愛着行動を実施していないからではと述べました。
ただし、ボウルビーは、子供が愛着を示すのは絶対に母親でなければならないとは述べていません。生まれてすぐに赤ちゃんは1人以上の養育者と愛着関係を結ぶことができ、その中でも特に強い愛着関係を結ぶことが多いのが母親であるとだけ述べたのです。
3歳児神話の根拠とされている事柄2:クラウスの研究
アメリカの小児科医クラウス(Marshall Klaus)は、出生直後に乳児と母親を引き離すと愛着関係をうまく結べなくなるという研究結果を報告しました。そして、クラウスは臨床結果を裏付ける根拠として、ヤギなどの動物の母子関係を挙げました。
ある種のヤギは、出産直後に母ヤギと子ヤギを数時間引き離しておくと、数時間後に子ヤギを母ヤギのそばに連れて行っても子供として受け入れないことがあります。同じ哺乳動物である人間も、このヤギのように出産直後に母子を離しておくなら、母子の愛着関係にはマイナスの影響を及ぼすだろうと結論付けたのです。
ボウルビーらの研究や理論も活用し、クラウスは出生直後に母子が密着することの大切さを書籍としてまとめました。クラウスの研究が発表されるまでは、アメリカでは清潔保持と医療行為を容易にする目的で出産直後の母子を分離していましたが、クラウスの研究が契機となって従来の産後管理が見直されるようになりました。
3歳児神話の根拠とされている事柄3:脳科学
脳の視覚野におけるシナプスは、ニューロン当たりの形成数が生後12ヶ月にピークを迎え、その後、徐々に減少していくことが分かっています。そのため、乳幼児期に脳にどのような刺激を受けるかが、脳の成長にとって大切なことだと考えられています。
ただし、このことを拡大解釈し、乳幼児期の生育環境が脳の構造を決定し、ひいては脳の機能までも決定してしまうと考える人もいます。そのような理論と3歳児神話を重ねて、「3歳までの環境がその子供を作り上げてしまう」または「3歳まで母親と一緒にいることがその子供の一生を左右する」と結論付けてしまうのです。
「3歳児神話に根拠はない」が現代の定説
1998年の厚生白書によって、3歳児神話には合理的な根拠が認められないと断じられています。どのような理由で3歳児神話が否定されているのか、また、3歳児神話を否定することが正しいのかについて探っていきましょう(注2)。
3歳児神話を否定する根拠1:母親以外も育児はできる
妊娠することや赤ちゃんを産むこと、そして授乳することは、母親にしかできないことです。ですが、それ以外の育児、例えば子供に離乳食を与えたり、ミルクを調合したり、飲ませたり、子供を寝かしつけたり、子供と遊んだりすることは、母親以外でもできることです。もちろん、父親もできることですし、愛着関係を構築するためにも積極的に父親は育児に関わっていくべきと言えるでしょう。
3歳児神話を否定する根拠2:専業主婦の不安の高さ
一日中子育てと家事に専念する専業主婦は、周囲からの助けを得ることが難しく、すべての時間を子供にささげるため、自分自身の時間を持つことが難しくなります。そのため、外に働きに出ている母親と比べると、ストレスをためやすく、育児に対する不安を高く持つ傾向にあります。
母親以外の大人、つまり父親や祖父母、その他の家族、友人などの身近な人が常に手を差し伸べられる状態にいることで、母親の不安は大きく軽減され、子供とも良好な関係を築けるようになります。母親だけに育児の負担を課すことは、母親だけでなく子供にとっても良いことではないと言えるでしょう。
3歳児神話を否定する根拠3:信頼感の構築と母親の存在
人生の初期段階でもある乳幼児期は、他者に対する信頼感を構築する時期でもあります。身近な人と良好な人間関係・愛着関係を築くことで信頼感を構築することができますが、この信頼感はかならずしも母親が常にそばにいないと構築されないものではありません。母親が必要なときだけそばにいることや、父親や祖父母、保育園の先生などの大人が子供に誠実に接することでも構築できるのです。
3歳児神話は否定されなくてはいけないものなのか?
外で仕事をしたいと思っている母親にとって、3歳児神話を振りかざし、「母親だから少なくとも子供が3歳になるまでは子供と一緒にいるべき」と言われることは大きなストレスになります。
また、自分から望んで子供の育児に専念している専業主婦も、3歳児神話を根拠として、「母親が一緒にいることが子供の人生において大きな意味を持つ」と言われるなら、大きなストレスになり、夫や他の家族、民間等の保育サービスに頼れない状況に追い込まれてしまう可能性があります。
現在、アメリカでもイギリスでも、3歳未満の子供を保育園に預けたりベビーシッターを利用したりすることはそう珍しいことではありません。つまり、3歳児神話は発祥の地である海外ですら、ほぼ否定されているとも言えるのです。
では、3歳児神話は悪い点ばかりなのでしょうか?
幼少期の環境が子供にとって大きな意味を持つことは本当
3歳児神話の中でも、「子供の成長にとっては、3歳までの時期が重要な意味を持つ」ということは事実と言えます。もちろん3歳に限定する必要はありませんが、幼少期の環境や人との関わり方が、その子供の一生を左右するような人格形成に結びつくことは不思議なことではありません。
例えば、「子供が幼いときは、母親は子供と四六時中居るべきか」ということについて考えてみましょう。
ある人は、「自分は小さい頃、母親がいなくて寂しい思いをした。保育園のお迎えの時間が遅れて悲しくなったことや、保育園の散歩途中に母親と手をつなぐ同じ年頃の子供を見て泣きたくなったことを今でも覚えている」と言うかもしれません。
また、ある人は、「お母さんはいつも私に勉強しろとうるさく、何でも完璧にさせようと厳しく接した。私が小学校に行ってお母さんが外に働きに行ったとき、本当に解放されて嬉しく感じた」と言うでしょう。
幼いときに母親がそばにいるべきかという質問に対する答えは両者正反対ですが、いずれも自分の幼少期の経験をもとにして意見を述べているのは同じです。このように考え方の基盤に幼少期の環境や経験が強く影響を与えることは珍しくないのです。
子育てにとって大切なものとは
3歳児神話は部分的(幼いときの環境が人格形成に重要な意味を持つ)には正しいですが、全体的(母親が育児を担当すべきであるという考えや母親が3歳までは育児に専念すべきであるという考え)は間違っていると言えます。では、子育てにとっては何が本当に大切だと言えるのでしょうか。
子供に愛情を持って接すること
子育ての基本は、何と言っても子供に対する愛情です。ただし、愛情は時間に比例するものではないということを忘れてはいけません。
愛情は一緒に過ごす時間とは比例しない
3歳児神話を語る人は、母親がいついかなるときも子供と一緒にいることが愛情だと捉える傾向にあります。ですが、母親が自分の時間を一切取れずに強いストレスを抱えてまで子供と一緒にいるなら、母親は子供に優しい態度で接することができなくなってしまうでしょう。
母親自身に強いストレスがかかっている時は、不機嫌な顔を見せたり、子供にすぐに大きな声を出したり、子供のしていることをすべて否定することもあり得ます。
そのような状況で子供とべったり一緒に居ても、母親も子供もストレスを抱えてしまうだけです。例え一緒に過ごす時間が短くても、穏やかな愛にあふれた時間を過ごすことが、子供への愛情の示し方として健全です。
子供が寂しい思いをしないように配慮すること
愛情は子供と一緒に過ごす時間とは比例しないといっても、子供に寂しい思いをさせてまで親が自分の気持ちを優先させることは理想的とは言えません。親が一緒に過ごせないときは、保育施設を利用したり、祖父母の家で過ごさせたりと、子供が楽しめる環境を準備するようにしましょう。
子供にとっての幸せ、自分にとっての幸せを両方考えること
子供と一緒に生活するということは、子供の幸せだけを最優先にすることではありません。もちろん、幼い子供が自分でできることは限られていますので、身の回りの世話をしたり、子供が楽しめるように配慮したりすることは親の務めです。
ですが、子供の幸せだけを最優先することは、母親の個人としての生き方や人格を否定することにもなりかねません。自身の幸せを追求することも忘れずに、子供の幸せ、子供の快適さなどを追求していくのが理想です。
お母さんやお父さんの穏やかな表情や態度が、子供の精神的な基盤になっていきます。親か子、どちらかの幸せだけを追求してしまうと、結局はどちらも幸せにはなれません。
子供にとっての幸せと自分にとっての幸せをどちらも考え、お互いがもっとも幸せに生活できる方法を模索していきましょう。
子育てについての意見を他人に押しつけないこと
子育てに正解はありません。「小さいときに親がいなくて寂しかった」という人もいれば、「働いているお母さんはカッコよかった」という人もいるのです。もちろん、家族や夫婦の間でも、子育てについての考え方は異なります。どれが正しいとか間違っているかとかではなく、ただ異なるのです。
この点は、夫婦であっても注意が必要です。「お母さんなんだから3歳くらいまでは子供と一緒に居るのが当然でしょ」と夫が言うことは、妻の人格を否定し、妻の人生を無責任に左右してしまっているのと同じです。
- 子育てについての意見を他人に押し付けない。
- 無責任に価値観を押し付けてくる人の話は聞かない。
- 子育ての方針は夫婦間でよく話し合う。
3歳児神話に限らず、早期教育や英語教育など、育児において意見が分かれる問題は数多くあります。この3点を意識し、自分自身が納得のいく選択をしましょう。
100人いれば100通りの子育てと100通りの幸せがある!
3歳児神話を頭ごなしに信じる人も3歳児神話を根拠に他人の子育てをとやかく言う人も、いずれも立派なこととは言えません。
100人いれば100通りの子育てがあり、それぞれが満足していればそれが正解なのです。我が子の幸せを1番に願っているのはママやパパのはずです。「こうあるべき」とは考えず、自分と子供にとってもっとも良い育児を模索していきましょう。